土木工事測量のコイシ

代表挨拶|土木工事測量 測量計算機コイシ

~土木に携わっている皆様へ~

コイシは土木の末端で仕事をしている会社です。
型枠の位置出し、鉄筋の確認、重機オペさんたちから怒られながらやってきた会社です。
今までの現場で体験してきたものを未来につなげていくには
自然のしくみを学びながら、若い社員に語りかけていくしかありません。
九州だけでも未来につながることを考えていきたい。

土木学会会長の田代様が
「土木も間違っていたことを認めよう。そうしないと若い人は土木に入ってこない。」と仰っていました。
このようなありがたい「未来」を私たちは創っていく必要があります。
一緒に現場(工事測量)をしながら分かりやすさを追求していきましょう。
ぜひ一度、大分事務所・国東事務所・福岡事務所・北九州事務所に遊びに来てください。


●見にくい方は右下のフルスクリーン(FUllscreen)ボタンを押してご覧ください

三浦梅園との出会い

大分市に吉野梅園という梅で有名な場所がある。
大分県は梅で有名(県の花・木は豊後梅)だから
三浦梅園もてっきり鑑賞する梅園と思っていた。
人の名前と知ったのは、つい最近だ。

大分の空港道路を走っていると、梅園の里という看板が目に入る。
鑑賞でもしようかと行ってみた。
すると、梅園資料館という建物があり入ってみると
三浦梅園さんという人の資料館だった。

資料館を一通り見ていたら、映画が三本ありますので
是非とも見て下さいと言われ、言われるがまま観た。
すると、自分が探し求めていた教育がここにあった。

26周年を迎えて

自分に何が出来ると、生活ができるのか? これはみんな同様に考え生きてきた。
すぐ、答えと巡り合えた人もいれば、巡り合えるように努力した人もいる。
今も探し求めている人もいれば、こうではない。こうではない。と
模索している人もいる。

還暦を迎える責任として

①. 大量生産・大量消費をすすめる考え方は正しかったのか?
    そこで働くことはどうだったのか?

②. 地球を彫刻して住みよい土木にしたいと夢を持っていたが、
     現実はどうなったのか?

働くを自分の生活の為だけにしたら、数々の問題が起ると分かってきた。
今後は、そうならないように、それなりの先を考え、人間ってかしこいなー。
「コイシ」をそんな会社にしていきたい。

私が考える価値ある仕事は、つち(土)・みず(水)・き(木・気)に行きつく。
「三浦梅園・土木」を訴え立ち上げていきたい。

エネルギーは、石油・石炭・ガスでなく、一年から二年で成長するファルカーターを活用したい。

そして、地球が動いている宇宙(太陽系)を分かりやすい人間の目で創り、みんなに見てもらいたい。
そこから、新たなものを感じ取れれば、「教育の原点」が見えてくる気がする。

平成26年2月7日

”土木と共に歩むコイシ”

株式会社コイシ 
代表取締役 小原 文男

26期スタート

まっさらな状態で人間の役割を考えたら、一つは80数年の寿命の中で、
何を学び、どこに幸せを感じ、なんのために生まれてきたのか。

本来なら、もっともっと伸び伸びと自分を試しながら、
人の目を気にしないで生きていけたら、良かったのかも知れない。

あの天才と言われたアインシュタインですら、世の中を悲観し、最後は逃避していた気がします。
それは、どうしてか。
そのようなことを考えていると、どんな会社が生き残っていくかは、ほぼ明快な答えが返ってくる。
それは、人間としてその都度・その都度、社員が考えて・考えて、仕事をしていく会社である。
作業・ワーカーをさせない会社である。
そのためには、どうしていけばそれが出来るかになるが、その考えは、究極というより、当たり前なんだが、
考えさせないでただ働けばよいとしてきた自分を頭の良い人間と思っている一部の人たちが、
そうしてきたのかも知れない。

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2012年、25年を振り返って(PDF)

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2012年、25期を迎えて

原発事故から1.5年が過ぎた。
コイシは25期に入った。1/4世紀をただガムシャラに生活してきた。
私みたいに勉強が苦手な人間からすると、何故、学校に行くようになったのか。
誰がそう決めたのか。何故、会社に行くようになったのか。

ドイツに行って学んだのは理念だった。
1.子供たちに森を残せる国つくり
2.国民に年金を支払える国つくり


これは、衝撃だった。

パクリになるかもしれないが
1.日本の四季を誇りに思える国つくり
2.税金は外国から戴ける国つくり(こころと技術の宣教師)

自然習得(土・水・木・海・宇宙)と生活習得(衣・食・住)が一体になった会社とは、
どんなイメージなんだろう。
このまえ、勉強したいので東京に行ったら、「子供が放射能を浴びたぐらいで感傷的になる日本人が多い」と
発言していた人がいた。唖然となって固まってしまった。
何者だろうと、経歴をみてみると驚いてしまう。
頭が良いとか、経歴が良いとか、育ちが良いとか、信じられなくなってきた。
私はこのコイシを少しでも、この地球上に生まれてきた目的を見つけ出せないか、
と考えている。せっかく土木で仕事をしているので、
土木に文化を入れていく思考を今から考えて発信していきたい。

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2011年、年末の挨拶

3.11から私は、大きく変わった気がします。
それは、人間の幸せとか豊かさとかは
私たちが小さいときに見たものでもないし、聞いたものでもない。
株式会社コイシは、地球の自転・公転をみつめながら
コイシ応援団を創っていけたらと思います。
みなさま、いろいろありがとうございました。

”土木と共に歩むコイシ”

株式会社コイシ 
代表取締役 小原 文男

2011年、東日本大震災を受けて

 東日本大震災で被災された皆様、そして今も一生懸命復旧に携わっている皆様
心よりお見舞い申し上げます。

本来土木は道路や橋を造るだけでなく、自然の猛威から生命を守るものでした。
しかし、今は守りきれなかったことの申し訳なさと、心の痛みしかありません。

このような悲惨な被害が繰り返されないためにも、
「自然を生かした土木防災とは」を考えて行きたいと思います。

一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

”土木と共に歩むコイシ”

株式会社コイシ 
代表取締役 小原 文男

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2006年「土木施工3月号」に掲載された記事です。

未来土木のコイシを目指して

        ~現場監督は経営者に近い第一歩の最前線?~



●土木との出会い

私が土木に入ったのは27歳です。地場にある関アジ、関サバで有名な佐賀関の安東建設がスタ-トになります。
きっかけは巻尺、レベル、トランシットの販売会社にいた際、現社長(安東建治さん)から「男は技術を身につけたほうがいいぞ!」と
その言葉が土木現場監督のきっかけスタ-トになります。
現場で作業員さんたちが、BC.SP.EC等英語を話し、分からない土木方言・土木専門言葉の多さに驚いた記憶がありますが、
みなさんが一つの現場を仕上げる気、工期に間に合わせる気迫や海の潮待ち仕事になると、みんなの顔が一気に変わる姿は
人間の極限を創り出しているさまも知りました。命の問題、時間の問題、自然の怖さを知り尽くしている智恵だったと解釈しています。
それと、みんなが雲の上の人に見えていたのは事実で、私にとってはここが土木の原点になります。
それから、雲の上の人を追い越すには別で頑張るしかないと、何故か勝手に思いはじめ、色んな所で皆様にお世話になりました。
育てて頂いたのは、同じく地場の保月重機さんであり、香川組さんになると思います。
ノイロ-ゼになったり、土木は自分に向かないと決め込んだり、必死になってた分、逆にみんなに多大な迷惑をかけ、
史上最悪のわがまま社員だったようです。

●創業のきっかけ

創業のきっかけは、測量会社に少し勤務したことです。現場監督時代は測量屋さんの測量の速さや計算(座標)には
ついていけませんでした。そのあたりも勉強したい気持ちでした。
その当時は土木がおおざっぱで測量がシビアと勝手に思っていましたが、自分でもやれるなと思い込み自信を持ったようです。
しかし、建設業は無理だな、測量会社も無理だな、丁張りなら掛けれる、出来形も出来る、変更数量も出来る、管理図も作れる、
検査書類も出来る、最初は丁張り掛け専門でスタ-トしようと決め込みました。
でも友人から丁張りを頼む会社がどこにあるか!とみんなから反対されました。
まだ、なんら技術もない人間でしたので朝早くから夜遅くまでをモット-として心に刻みました。
お金もなく、お客さんもなく、小原測量と名刺を作り33歳でスタ-トした記憶です。
最初の仕事は偶然に現場監督さんが入院したのでその代行が最初の仕事のようでした。
お金も機具も無かったので、国民金融公庫さんに資金援助を頼みました。ヒアリングのスタイルが長靴で作業服だったせいか、
建設業関係には融資は出来ないとあっさり断られ翌日、ス-ツを着てソフト会社みたいなことをするんだと言ったら、
150万支援して頂きました。ただ、担保と第三保証人(小原測量のお客さん)が必要というので嫁さんの実家を担保に頼み込み、
安東建設の現社長に保証人を御依頼したら、お互い気持ちよく引き受けて頂きました。
その資金を元に、ソキアの光波測距儀、パソコン、必要な機具を揃えました。またリ-スを組めたのも運がよかったと思っています。
それと、五年間二間の県営住宅を自宅兼事務所で辛抱したのも、必死でやってた気がします。

●パソコンとの出会い

それから、小原測量(家族会社のスタ-ト)、有限会社平成測量、そしてコイシと移行していきます。「土木と共に歩む」が理念でした。
土木しか分からなかったからです。毎日、毎日、父と現場に行きました。今では楽しい唯一の想い出です。
今でも父と仕事が出来たことが後々いろんなきっかけを与えていました。このままでは駄目だとか、もっと楽にならないのか、
これでは父が可哀想だとか、この仕事はきついとか、人を雇っても辞めていくのではないかとか、
毎日、不安の中にいたのは事実でした。
銀行の利息のように毎日お金が入ってこない限り、楽にはならないだろうとは思っていました。
ソフトロ-タスの出現で土木に必要な計算書類、管理図、舗装品質管理(ベンゲル、平板、現場密度)、
出来形管理はすぐにプログラム化して作りました。
路肩表、トラバ-、座標面積、線形、割り出し(角度と距離を入力すると測点と巾が分かる)ができたときは
跳び上がって喜んだ記憶があります。
これで、父の杭がまっすぐに入らなくてもOK、岩で硬いときは杭が入りやすい場所でOKになりました。
高かったプロッタ-も購入して圃場整備の面積管理を始めたり、メッシュ土量計算書を作ったり、
毎日が新鮮で楽しかった記憶があります。
平成元年に土木技術者勉強会として今からはパソコンを覚えないと駄目だ。
必ず土木技術者の七つ道具になると訴え、ソニ-のフロッピ-カメラ(マビカ)で写真を撮るべきだと提案させて頂きました。
このあたりから、便利なもの、効率があがるものを試すのが楽しかったようです。
当時のパソコン通信で飯が食えないかとか、ソフト販売はどうかとか考えてたようです。

●丁張マン

友人であった丁張マンの生みの親が関数計算機で割り出し、座標変換を作り上げていました。
この計算機で丁張り掛けが無茶苦茶楽になりみんなから、どうしてすぐ丁張りが掛かるの?と人が集まりだしました。
それから、ワッパちゃんを作ったり、鋲ネクタイを作ったり、自分たちが便利に楽になるものを作っていきました。
それがきっかけで大分のベンチャ-企業と言われるようになりました。
大分県の創造認定を戴いた御蔭で資金も集り、丁張マンを全国販売することにしました。
現場の売上も毎年倍々と上がっていきました。このときに丁張マンのコマ-シャルとして「現場監督よ立ち上がれ!」と打ちました。

●開発(KOISHI-3D)のきっかけ

自分が現場に出たときは、経験・体験・発想からミス・勘違い・間違いは最小限に抑える自信はありましたが、
今から勉強していく人、あまりチェックを大切にしない人たちをどう指導していけばいいのか?
また、支店とか営業所を出すとしたときは、そこをクリア-しない限り無理だろうと考えていました。
丁張マンはここ大分では2,000台以上売れてる現場の必需品になりましたが、ミス、勘違いには気付かない。
なんとか丁張マンでミスを教えてくれることは出来ないのか?これは、まさにお客さんの声であり、私の願望でもありました。
どうしたらミスに気付くか?それはもう三次元しかないと昔から思っていました。
平成6年に土木技術者勉強会を開き、土質、簡易設計(クロソイド線形)の勉強会をしました。その際の挨拶として、
5~6年後には土木の図面も三次元化になりみんなが理解しながら安心して作業できる時代がくるだろう、と云って閉会しました。
しかし、現実はCADに移行した程度でした。
丁張マンが普及すればするほど、丁張り、横断、出来形作業時間は大幅に短縮されましたが、
路肩表(基準高計画表)が間違っている、角度、距離入力を間違える、光波の設定を間違える、丁張り計算を間違える、
上げ下げを間違える、センタ-側か山側か間違える・・・。図面の間違い、施工間違い(勾配)・・・。
これらを工事する前に分からないか、施工途中で分からないか、これが出来ればどれだけ安心して現場ができるか。
その開発が「KOISHI-3D」の原点です。行動のきっかけはJST(科学技術振興機構)さんから送られてきた開発委託金の
案内でした。昔作った鋲ネクタイが特許庁長官注目発明選定書を戴いていましたので、そのル-トで送られたようでした。
最初のタイトルが「土木工事測量ミス発見システム」として書き始めました。
ミスによる自殺、ミスによるエネルギ-ロスを少しでも無くしたいと訴えました。
困ったのが産学官連携という条件でした。国立大学の教授とか誰も知らないし、締め切りは一週間後になるし焦りました。
思い切って大分県に相談に行ったらコ-ディネ-タ(後藤さん)が大分大学工学部知能情報科の宇津宮教授と西野助教授を
紹介して頂き、それから毎晩、添削に入りました。役所へ提出する文章を過去に書いたこともなかったので、
学生時代お世話になった東京にいる友人に応援を依頼したら気持ちよく大分に来てくれ締め切り10分前に投函できました。
合格通知が届いたときはビックリしました。その当時はノウハウはあっても真のプログラマ-はいませんでしたので、
大学に頼りっきりでした。基本のベ-スはエクセルで作りました。線形、路肩表を作れば
自然と3Dになり実測デ-タが入るとズレが分かる。そして規格値を入れておけば、赤になればアウト、緑ならOK
これならみんなが喜ぶだろう。あっという間に委託契約期限が終わりました。
現場のデ-タは写真解析から取れないか、直接GPSから取れないか、ノンプリから取れないか、どんどん夢は広がっていきました。
この委託開発研究していた院生の学生が先生の紹介でコイシに入社してくれました。
そこから、大きく進展したというより、現場らしくなっていったと認識しています。
ただ、これを作っても誰からも認めていただけませんでした。
3Dてなんか?図面も見れない奴が仕事するな?間違いが分かったら困る。何故か私たちが考えている方には流れませんでした。

●国総研との出会い

九州地方整備局の方が国総研(国土技術政策総合研究所)に見せたらと教えていただき
高度情報化研究センタ- 情報基盤研究室に直接電話を入れてみました。
担当者はいなかったのですが、丁張り間違いを3Dで表現するソフトを作りましたと伝言を頼みました。
数時間後国総研さんから電話が入りいろいろお話しすることができました。
失礼ではありましたが、検査の厳しさや、意味の無い取壊し、現場は三次元なのに検査は巻尺検査等、
今の土木のナンセンスな部分をお伝えしました。
その後、デモ依頼があり、静岡県富士市の(社)日本建設機械化協会 施工技術総合研究所さんで
<道路土工における3Dデ-タ利用技術デモンストレ-ション>を実施しました。
地形の3D化、計画の3D化、そして合体、丁張りデ-タの入力、まだ、完璧ではありませんでしたがうまくいきました。
そこでかなり高い評価をして頂きいろいろな会合に参加させて頂きました。2004、2005CALS/ECでKOISHI-3Dの紹介、
「第一回IT施工における3Dデ-タ活用セミナ-」で「末端現場からみた3D」を講演、随意契約として
「土木工事測量・施工支援システム提供業務」へと展開していきました。
他の評価として「大分県ものづくり大賞」、「中小企業優秀新技術・新製品賞」、「特許庁長官奨励賞」、「九州産業技術センタ-賞」等、
知名度の上がる賞を戴きました。課題はビジネス化です。

●アドバイスとして

土木ベンチャ-をめざす人への助言としては、私は土木学校を出ていません。普通高校の普通大学です。
ベンチャ-性は二種類あると思います。
土木技術を掘り下げていくものと、私みたいに全く違う観点から眺めてナンセンスなところを改良していく。
もしくは、工学部が事務系を眺め、文科系が先端系・ゆとりを考える。土木は大きく変わっていくような気がします。
命を守っているのは医学だけではありません。全ての業種が命を守っていると思います。
特に土木は人間の命を守ってきた業種だと思っています。そこにはいろいろなものが生まれてきて当然と思います。
ひょっとしたら、建設業が半官民になって市民を守る時代が来るかも知れません。
それと、国のトップで仕事している人は本当に凄いです。取組み、真剣さ、前向きさ、身を削ってわたしたち以上に仕事をしています。
それも認識すべきです。

●現況と生き残り戦略として

みんなきついど真ん中にいると思います。コイシとしては、現場でコツコツと工事測量で、いろいろ学び、チャンスがあれば工事も取り、
楽になっていく管理方法をみつけていきたいと考えています。
今までは100%民間企業の下請けできましたが、いろいろな提案ができましたら、役所の仕事もしていきたいと考えています。
年末大分市役所契約検査室に土木新技術のヒアリングがありました。
3D管理提案をしたら、指名に入り無事落札できました。久し振りの感動でした。
この小さな会社にも開発部門があります。ノウハウと開発技術力がマッチすれば、素晴らしいものは出来ていくと思います。
土木以外の頭脳がキ-ポイントだと私は思っています。事務、経理も同様です。
私は失敗だらけできていますが、経営アドバイスをすると言えば、数字を見れる人が絶対必要です。
バランスです。違う観点から見た最低三つのバランスです。その三つは何でもよいと思います。
今の私の経営バランスは、体力・脳力・数字力です。一つに片寄った時は何も見えてないときのようです。
私の夢は、丁張り掛けでミスをしないことです。その行き先は丁張りを掛けないことになります。
昔、丁張マンの広告として「現場監督よ立ち上がれ!」と日刊工業新聞一面とこの月刊土木施工に打ちました。
現場監督が新しい時代の社長を創り出すのではと感じたからです。現場監督は経営の最前線にいると今でもそう信じています。

    

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