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土木以外の頭脳がキ-ポイントだと私は思っています。事務、経理も同様です。
私は失敗だらけできていますが、経営アドバイスをすると言えば、数字を見れる人が絶対必要です。
バランスです。違う観点から見た最低三つのバランスです。その三つは何でもよいと思います。
今の私の経営バランスは、体力・脳力・数字力です。一つに片寄った時は何も見えてないときのようです。
私の夢は、丁張り掛けでミスをしないことです。その行き先は丁張りを掛けないことになります。
昔、丁張マンの広告として「現場監督よ立ち上がれ!」と日刊工業新聞一面とこの月刊土木施工に打ちました。
現場監督が新しい時代の社長を創り出すのではと感じたからです。現場監督は経営の最前線にいると今でもそう信じています。
私が生まれて69年
コイシが生まれて35年
さまざまな出会いの中で、
生命誌の中村桂子さんと出会って、
「生きものとしての土木」という言葉を授かり、
生きている土
生きている木
何も知らないで一生懸命仕事をしてきました。
みなさんから、とやかく言われる筋合いはないと今でも思っていましたが、
「もったい」という言葉や、
心の本質でものごとを考えていくと、
今までの延長線だけでは、土木で働いているみんなも日本も楽になっていかない。
と感じてきています。
ゼネコンさん
小さい土建屋さん
だけでなく、
役所のみなさん
設計者のみなさん
にも、新しい視点が必要になった気がします。
「生きる」ということに基盤を置く総合知を創る必要があると考えて生みだした
「生命誌」、
「生きものとしての土木」を、
取り入れた土木を、みんなで考えて実践出来たらと思っている。
また、
「土中環境」は、その具体的な工法になる、土木の原点にも感じます。
総合知という視点の生命誌から、人間の仕合せを土木のやりがいで見出せたら嬉しい。
若いみらいある社員さん、土木で頑張っている人たちに、つないでいけたらと思っています。
これからも、コイシをみなさん、よろしくお願いします。
私が土木に入ったのは27歳です。地場にある関アジ・関サバで有名な佐賀関の安東建設さんがスタ-トになります。
巻尺、レベル、トランシットの販売会社にいた際、現社長(安東建治さん)から「男は技術を身につけたほうがいいぞ!」と言われたのが、土木現場監督のきっかけスタ-トになります。
作業員さんたちが現場で、BC・SP・EC等の英語を話し、分からない土木方言・土木専門用語の多さに驚いた記憶がありますが、一つの現場を仕上げるための気合や、工期に間に合わせる気迫、海の潮待ちになると、みなさんの顔が一気に変わったりと人間の極限を創り出している様も知りました。
命の問題、時間の問題、自然の怖さを知り尽くしているからこその智恵だったと解釈しています。
それと、みなさんが雲の上の人に見えていたのは事実で、私にとってはここが土木の原点になります。
吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
それから、雲の上の人を追い越すには別で頑張るしかないと何故か勝手に思いはじめ、色んな所でみなさんにお世話になりました。
育てて頂いたのは、同じく地場の保月重機さんであり、香川組さんになると思います。ノイロ-ゼになったり、土木は自分に向かないと決め込んだり、必死になってた分、逆にみなさんに多大な迷惑をかけ、史上最悪のわがまま社員だった気がします。
創業のきっかけは、測量会社に少し勤務していたからです。
現場監督時代は測量屋さんの測量の速さや計算(座標)にはついていけませんでしたが、その辺りも勉強したい気持ちでした。
当時は、土木が大雑把で測量がシビアだと勝手に思っていたので、自分でもやれるなと思い込み自信過剰になっていました。
建設業や測量会社は無理でしたが、丁張掛けや出来形、変更数量、管理図の作成、検査書類も出来ると分かり、最初は丁張掛け専門でスタ-トしようと決めました。
でも、丁張を頼む会社がどこにあるか!と友人から反対されました。まだ、何も技術のない人間でしたので朝早くから夜遅くまでをモット-として心に刻みました。
お金やお客さんもいないなか、小原測量と名刺を作り、33歳にスタートした記憶があります。
偶然、現場監督さんが入院したので、その代行としてしたのが最初の仕事でした。
お金も機具も無かったので、国民金融公庫さんに資金援助を頼みました。ヒアリングのスタイルが長靴と作業服だったので、建設業関係には融資は出来ないとあっさり断られ、翌日にス-ツを着てソフト会社みたいなことをするんだ!と言ったら、150万支援して頂きました。
ただ、担保と第三保証人(小原測量のお客さん)が必要ということで、嫁さんの実家を担保に頼み込み、安東建設さんの現社長に保証人を依頼したら、気持ちよく引き受けて頂きました。
その資金を元に、ソキアの光波測距儀やパソコン、必要な道具類を揃えました。またリ-スを組めたのも運がよかったと思っています。
5年間の間2間の県営住宅を自宅兼事務所として辛抱したのも、必死でやっていた気がします。
それから、小原測量(家族会社のスタ-ト)、有限会社平成測量、そしてコイシと移行していきます。
「土木と共に歩む」が理念でした。土木しか分からなかったからです。毎日、毎日、父と現場に行きました。今では楽しかった唯一の想い出です。
今でも、父と仕事をしていたことが色々なきっかけになったと思います。このままでは駄目だとか、もっと楽にならないかとか、これでは父が可哀想だとか、この仕事はきついとか、人を雇っても辞めていくのではないかとか、毎日、不安の中にいたのは事実です。
銀行の利息のように毎日お金が入ってこない限り、楽にはならないのだろうとは感じていました。
ソフトロ-タスの出現で土木に必要な計算書類、管理図、舗装品質管理(ベンゲル、平板、現場密度)、出来形管理等はすぐにプログラム化して作りました。路肩表、トラバー、座標面積、線形、割り出し(角度と距離を入力すると測点と巾が分かる)ができたときは跳び上がって喜んだ記憶があります。
これで、父の杭がまっすぐに入らなくても、岩が硬いときは杭が入りやすい場所でOKになりました。高かったプロッタ-も購入して、圃場整備の面積管理を始めたり、メッシュ土量計算書を作ったり、毎日が新鮮で楽しかった記憶があります。
平成元年に土木技術者勉強会をして、今からはパソコンを覚えないと駄目だと感じました。
必ず土木技術者の七つ道具になると訴え、ソニ-のフロッピ-カメラ(マビカ)で写真を撮るべきだと提案させて頂きました。この辺りから、便利なもの、効率があがるものを試すのが楽しくなっていきました。当時のパソコン通信で飯が食えないかとか、ソフト販売はどうかとかを考えていたようです。
丁張マンの生みの親であった友人が関数計算機で割り出し、座標変換を作り上げていきました。
この計算機で丁張掛けが無茶苦茶楽になり、どうしてすぐ丁張が掛かるの?と人が集まりだしました。
それから、ワッパちゃんを作ったり、鋲ネクタイを作ったり、自分たちが楽になるものを作っていきました。それがきっかけで、大分のベンチャ-企業と言われるようになりました。
大分県の創造認定を戴いたお陰で資金も集まり、丁張マンを全国販売することができました。
現場の売上も毎年倍々と上がっていきました。このときに丁張マンのコマ-シャルとして「現場監督よ立ち上がれ!」と打ちました。
自分が現場に出たときは、経験・体験・発想からミス・勘違い・間違いを最小限に抑える自信はありましたが、今から勉強していく人、あまりチェックを大切にしない人達をどう指導していけばいいのか。
また、支店や営業所を出すときには、そこをクリアしない限り無理だろうと考えていました。
丁張マンはここ大分では2,000台以上売れてる現場の必需品になりましたが、ミス、勘違いには気付かない。なんとか丁張マンでミスを教えてくれることは出来ないのか?これは、まさにお客さんの声であり、私の願望でもありました。
どうしたらミスに気付くか?それはもう三次元しかないと昔から思っていました。
平成6年に土木技術者勉強会を開き、土質、簡易設計(クロソイド線形)の勉強会をしました。その際の挨拶として、5~6年後には土木の図面も三次元化し、みんなが理解しながら安心して作業できる時代がくるだろう、と云って閉会しました。
しかし、現実はCADに移行した程度でした。
丁張マンが普及すればするほど、丁張、横断、出来形作業時間は大幅に短縮されましたが、路肩表(基準高計画表)、角度・距離入力、光波の設定、丁張計算、上げ下げ、センタ-側か山側か、図面、施工などの間違い・・・
これらを工事する前に分からないか、施工途中で分からないか、これが出来ればどれだけ安心して現場ができるか。その開発が「KOISHI-3D」の原点です。
行動のきっかけはJST(科学技術振興機構)さんから送られてきた開発委託金の案内でした。昔作った鋲ネクタイが特許庁長官注目発明選定書を戴いていましたので、そのル-トで送られたようです。
最初のタイトルは「土木工事測量ミス発見システム」として書き始めました。ミスによる自殺、ミスによるエネルギ-ロスを少しでも無くしたいと訴えました。困ったのが産学官連携という条件でした。国立大学の教授は誰も知らないし、締め切りは一週間後になるしで焦りました。
思い切って大分県に相談に行ったらコ-ディネ-タ(後藤さん)に大分大学工学部知能情報科の宇津宮教授と西野助教授を紹介して頂き、それから毎晩、添削に入りました。
役所へ提出する文章を過去に書いたこともなかったので、学生時代お世話になった東京にいる友人に応援を依頼したら気持ちよく大分に来てくれ締め切り10分前に投函できました。
合格通知が届いたときはビックリしました。その当時はノウハウはあっても真のプログラマ-はいませんでしたので、大学に頼りっきりでした。
基本のベ-スはエクセルで作りました。線形、路肩表を作れば自然と3Dになり実測デ-タが入るとズレが分かる。そして規格値を入れておけば、赤になればアウト、緑ならOK。
これならみんなが喜ぶだろう。
現場のデ-タは写真解析から取れないか、直接GPSから取れないか、ノンプリから取れないか、どんどん夢は広がっていきました。
この委託開発研究をしていた院生の学生が先生の紹介でコイシに入社してくれました。そこから、大きく進展したというより、現場らしくなっていったと認識しています。
ただ、これを作っても誰からも認めていただけませんでした。3Dて何か?図面も見れない奴が仕事をするな?間違いが分かったら困る。
何故か私たちが考えている方には流れませんでした。
九州地方整備局の方に国総研(国土技術政策総合研究所)に見せたら?と教えていただき高度情報化研究センター 情報基盤研究室に直接電話を入れてみました。担当者はいなかったのですが、「丁張間違いを3Dで表現できるソフトを作りました」と伝言を頼みました。
数時間後、国総研さんから電話が入り、色々なお話しをすることができました。失礼ではありましたが、検査の厳しさや、意味の無い取り壊し、現場は三次元なのに検査は巻尺検査をしている等、今の土木のナンセンスな部分をお伝えしました。
その後、デモ依頼があり、静岡県富士市の日本建設機械化協会 施工技術総合研究所さんで<道路土工における3Dデ-タ利用技術デモンストレ-ション>を実施しました。地形や計画の3D化や合体、丁張デ-タの入力等、まだ完璧ではなかったのですが上手くいきました。
そこで、かなり高い評価をして頂き、色々な会合にも参加させて頂きました。2004、2005CALS/ECでKOISHI-3Dの紹介、「第1回IT施工における3Dデ-タ活用セミナー」で「末端現場から見た3D」を講演、随意契約として「土木工事測量・施工支援システム提供業務」へと展開していきました。
他の評価として「大分県ものづくり大賞」、「中小企業優秀新技術・新製品賞」、「特許庁長官奨励賞」、「九州産業技術センタ-賞」等、知名度の上がる賞を戴きました。課題はビジネス化です。
土木のベンチャー企業を目指す人への助言を端的に言うと、私は土木学校を出ていません。普通の高校と普通の大学に通っていました。
土木技術を掘り下げていくものと、私みたいに全く違う観点から眺めてナンセンスなところを改良していくという風に、ベンチャー性は2つ存在します。工学部が事務系を眺め、文科系が先端系やゆとりを考える。土木は大きく変わっていくような気がします。
命を守っているのは医学だけではありません。全ての業種が命を守っていると思います。
特に土木は人間の命を守ってきた業種だと思っています。そこにはいろいろなものが生まれてきて当然だと私は思います。
もしかしたら、建設業が半官民になって市民を守る時代がいつか来るかも知れません。
最後に、国のトップで仕事をしている人は本当に凄いです。取組み、真剣さ、前向きさ、身を削って私たち以上に仕事をしています。それも認識すべきです。
みなさん、キツイど真ん中にいると思います。
コイシとしては、現場でコツコツと工事測量を学び、チャンスがあれば工事も取り、楽になっていく管理方法を見つけていきたいと考えています。
今までは、100%民間企業の下請けもできましたが、色々な提案ができたら、役所の仕事もしていきたいと考えています。
年末に、大分市役所契約検査室に土木新技術のヒアリングがありました。3D管理の提案をしたら、指名に入り無事落札できました。久し振りの感動でした。
この小さな会社にも開発部門があります。ノウハウと開発技術力がマッチすれば、素晴らしいものは出来ていくと思います。土木以外の頭脳がキ-ポイントだと私は思っています。事務、経理も同様です。
私は失敗だらけで生きてきましたが、経営アドバイスとして一つできるとすれば、数字を見ることが出来る人を1人は絶対に確保しておくことです。
バランスです。違う観点から見た最低3つのバランスです。その3つは何でもよいと思います。今の私の経営バランスは、体力・脳力・数字力です。一つに片寄った時は何も見えていないのと同義だと考えています。
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