過去のご挨拶

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土木との出会い

私が土木に入ったのは27歳です。地場にある関アジ、関サバで有名な佐賀関の安東建設がスタ-トになります。

きっかけは巻尺、レベル、トランシットの販売会社にいた際、現社長(安東建治さん)から「男は技術を身につけたほうがいいぞ!」とその言葉が土木現場監督のきっかけスタ-トになります。


現場で作業員さんたちが、BC.SP.EC等英語を話し、分からない土木方言・土木専門言葉の多さに驚いた記憶がありますが、みなさんが一つの現場を仕上げる気、工期に間に合わせる気迫や海の潮待ち仕事になると、みんなの顔が一気に変わる姿は人間の極限を創り出しているさまも知りました。

命の問題、時間の問題、自然の怖さを知り尽くしている智恵だったと解釈しています。


それと、みんなが雲の上の人に見えていたのは事実で、私にとってはここが土木の原点になります。

それから、雲の上の人を追い越すには別で頑張るしかないと、何故か勝手に思いはじめ、色んな所で皆様にお世話になりました。

育てて頂いたのは、同じく地場の保月重機さんであり、香川組さんになると思います。
ノイロ-ゼになったり、土木は自分に向かないと決め込んだり、必死になってた分、逆にみんなに多大な迷惑をかけ、史上最悪のわがまま社員だったようです。

創業のきっかけ

創業のきっかけは、測量会社に少し勤務したことです。現場監督時代は測量屋さんの測量の速さや計算(座標)には
ついていけませんでした。そのあたりも勉強したい気持ちでした。
その当時は土木がおおざっぱで測量がシビアと勝手に思っていましたが、自分でもやれるなと思い込み自信を持ったようです。
しかし、建設業は無理だな、測量会社も無理だな、丁張りなら掛けれる、出来形も出来る、変更数量も出来る、管理図も作れる、
検査書類も出来る、最初は丁張り掛け専門でスタ-トしようと決め込みました。
でも友人から丁張りを頼む会社がどこにあるか!とみんなから反対されました。
まだ、なんら技術もない人間でしたので朝早くから夜遅くまでをモット-として心に刻みました。
お金もなく、お客さんもなく、小原測量と名刺を作り33歳でスタ-トした記憶です。
最初の仕事は偶然に現場監督さんが入院したのでその代行が最初の仕事のようでした。
お金も機具も無かったので、国民金融公庫さんに資金援助を頼みました。ヒアリングのスタイルが長靴で作業服だったせいか、
建設業関係には融資は出来ないとあっさり断られ翌日、ス-ツを着てソフト会社みたいなことをするんだと言ったら、
150万支援して頂きました。ただ、担保と第三保証人(小原測量のお客さん)が必要というので嫁さんの実家を担保に頼み込み、
安東建設の現社長に保証人を御依頼したら、お互い気持ちよく引き受けて頂きました。
その資金を元に、ソキアの光波測距儀、パソコン、必要な機具を揃えました。またリ-スを組めたのも運がよかったと思っています。
それと、五年間二間の県営住宅を自宅兼事務所で辛抱したのも、必死でやってた気がします。

パソコンとの出会い

それから、小原測量(家族会社のスタ-ト)、有限会社平成測量、そしてコイシと移行していきます。「土木と共に歩む」が理念でした。
土木しか分からなかったからです。毎日、毎日、父と現場に行きました。今では楽しい唯一の想い出です。
今でも父と仕事が出来たことが後々いろんなきっかけを与えていました。このままでは駄目だとか、もっと楽にならないのか、
これでは父が可哀想だとか、この仕事はきついとか、人を雇っても辞めていくのではないかとか、
毎日、不安の中にいたのは事実でした。
銀行の利息のように毎日お金が入ってこない限り、楽にはならないだろうとは思っていました。
ソフトロ-タスの出現で土木に必要な計算書類、管理図、舗装品質管理(ベンゲル、平板、現場密度)、出来形管理はすぐにプログラム化して作りました。


路肩表、トラバ-、座標面積、線形、割り出し(角度と距離を入力すると測点と巾が分かる)ができたときは跳び上がって喜んだ記憶があります。これで、父の杭がまっすぐに入らなくてもOK、岩で硬いときは杭が入りやすい場所でOKになりました。高かったプロッタ-も購入して圃場整備の面積管理を始めたり、メッシュ土量計算書を作ったり、毎日が新鮮で楽しかった記憶があります。


平成元年に土木技術者勉強会として今からはパソコンを覚えないと駄目だ。
必ず土木技術者の七つ道具になると訴え、ソニ-のフロッピ-カメラ(マビカ)で写真を撮るべきだと提案させて頂きました。
このあたりから、便利なもの、効率があがるものを試すのが楽しかったようです。
当時のパソコン通信で飯が食えないかとか、ソフト販売はどうかとか考えてたようです。

丁張マン

友人であった丁張マンの生みの親が関数計算機で割り出し、座標変換を作り上げていました。
この計算機で丁張り掛けが無茶苦茶楽になりみんなから、どうしてすぐ丁張りが掛かるの?と人が集まりだしました。
それから、ワッパちゃんを作ったり、鋲ネクタイを作ったり、自分たちが便利に楽になるものを作っていきました。
それがきっかけで大分のベンチャ-企業と言われるようになりました。
大分県の創造認定を戴いた御蔭で資金も集り、丁張マンを全国販売することにしました。
現場の売上も毎年倍々と上がっていきました。このときに丁張マンのコマ-シャルとして「現場監督よ立ち上がれ!」と打ちました。

開発(KOISHI-3D)のきっかけ

友人であった丁張マンの生みの親が関数計算機で割り出し、座標変換を作り上げていました。
この計算機で丁張り掛けが無茶苦茶楽になりみんなから、どうしてすぐ丁張りが掛かるの?と人が集まりだしました。
それから、ワッパちゃんを作ったり、鋲ネクタイを作ったり、自分たちが便利に楽になるものを作っていきました。
それがきっかけで大分のベンチャ-企業と言われるようになりました。
大分県の創造認定を戴いた御蔭で資金も集り、丁張マンを全国販売することにしました。
現場の売上も毎年倍々と上がっていきました。このときに丁張マンのコマ-シャルとして「現場監督よ立ち上がれ!」と打ちました。

国総研との出会い

九州地方整備局の方が国総研(国土技術政策総合研究所)に見せたらと教えていただき
高度情報化研究センタ- 情報基盤研究室に直接電話を入れてみました。
担当者はいなかったのですが、丁張り間違いを3Dで表現するソフトを作りましたと伝言を頼みました。
数時間後国総研さんから電話が入りいろいろお話しすることができました。
失礼ではありましたが、検査の厳しさや、意味の無い取壊し、現場は三次元なのに検査は巻尺検査等、
今の土木のナンセンスな部分をお伝えしました。
その後、デモ依頼があり、静岡県富士市の(社)日本建設機械化協会 施工技術総合研究所さんで
<道路土工における3Dデ-タ利用技術デモンストレ-ション>を実施しました。
地形の3D化、計画の3D化、そして合体、丁張りデ-タの入力、まだ、完璧ではありませんでしたがうまくいきました。
そこでかなり高い評価をして頂きいろいろな会合に参加させて頂きました。2004、2005CALS/ECでKOISHI-3Dの紹介、
「第一回IT施工における3Dデ-タ活用セミナ-」で「末端現場からみた3D」を講演、随意契約として
「土木工事測量・施工支援システム提供業務」へと展開していきました。
他の評価として「大分県ものづくり大賞」、「中小企業優秀新技術・新製品賞」、「特許庁長官奨励賞」、「九州産業技術センタ-賞」等、
知名度の上がる賞を戴きました。課題はビジネス化です。

アドバイスとして

土木ベンチャ-をめざす人への助言としては、私は土木学校を出ていません。普通高校の普通大学です。
ベンチャ-性は二種類あると思います。
土木技術を掘り下げていくものと、私みたいに全く違う観点から眺めてナンセンスなところを改良していく。
もしくは、工学部が事務系を眺め、文科系が先端系・ゆとりを考える。土木は大きく変わっていくような気がします。
命を守っているのは医学だけではありません。全ての業種が命を守っていると思います。
特に土木は人間の命を守ってきた業種だと思っています。そこにはいろいろなものが生まれてきて当然と思います。
ひょっとしたら、建設業が半官民になって市民を守る時代が来るかも知れません。
それと、国のトップで仕事している人は本当に凄いです。取組み、真剣さ、前向きさ、身を削ってわたしたち以上に仕事をしています。
それも認識すべきです。

現況と生き残り戦略として

みんなきついど真ん中にいると思います。コイシとしては、現場でコツコツと工事測量で、いろいろ学び、チャンスがあれば工事も取り、
楽になっていく管理方法をみつけていきたいと考えています。
今までは100%民間企業の下請けできましたが、いろいろな提案ができましたら、役所の仕事もしていきたいと考えています。
年末大分市役所契約検査室に土木新技術のヒアリングがありました。
3D管理提案をしたら、指名に入り無事落札できました。久し振りの感動でした。
この小さな会社にも開発部門があります。ノウハウと開発技術力がマッチすれば、素晴らしいものは出来ていくと思います。
土木以外の頭脳がキ-ポイントだと私は思っています。事務、経理も同様です。
私は失敗だらけできていますが、経営アドバイスをすると言えば、数字を見れる人が絶対必要です。
バランスです。違う観点から見た最低三つのバランスです。その三つは何でもよいと思います。
今の私の経営バランスは、体力・脳力・数字力です。一つに片寄った時は何も見えてないときのようです。
私の夢は、丁張り掛けでミスをしないことです。その行き先は丁張りを掛けないことになります。
昔、丁張マンの広告として「現場監督よ立ち上がれ!」と日刊工業新聞一面とこの月刊土木施工に打ちました。
現場監督が新しい時代の社長を創り出すのではと感じたからです。現場監督は経営の最前線にいると今でもそう信じています。

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